ちこ、ちこ、ちこ、ちこ、しゅら。


客観性を欠いたつぶやき、等とはたった先ほど書いたばかりの事ですが、ブログとかmixiとかtwitterとか、今はつぶやきがインターネットに溢れている時代なのですねぇ。日々起きたことを、私の中のもやんを誰かに話したい衝動を、ほんのちょっとの時差だけでつぶやける。届けられる。そんな現象が改めてすごいこと。そしてその現象の作用の仕合いは私に何を齎して何処へ向かうのだろう。と、ありきたりな感想をまたもつぶやき、今書いているオーケストラと比べてみては、何とも。


オーケストラのスコアは本当に美しいです。音が美しいほど譜面も一層美しいです。武満の譜面になんて、心底惚れ惚れ。師の譜面に、誠実さ。クセナキスの譜面に鳥肌。そんな譜面らを介して実現する音楽は遠い遠い。時差が膨らんでくらくらする。でもそのもどかしさ不安定さこそが生む真剣、思いやり、生々しさ、豊穣。




ちこ、ちこ、ちこ、ちこ、



楽しい、苦しい、楽しい、苦しい、が不規則交互にやってきて、オーケストラは思ったよりも私にとって素敵な編成。時計、ちこ、鉛筆、しゅら、気の遠くなる混合拍子。その感覚が好きだ。一週間後二週間後に、好きだなんて言ってた自分を白い眼で見てしまう余裕の無さの恐怖を想像しても、好きだ。


何故か余裕のある今の私の具合に色んな意味での危機危険を察知しつつ、五線紙を縦に充実させてゆく作業自体が単純に楽しくてならない今の生理、また、そうとでも感じていないと乗り切れない強がり。に満ちている食道のあたり。


胴体に響きを!脊髄にリズムを! 
 
 

祭!あなたは誰。


先程から石川議員逮捕がニュース番組を賑わしています。この出来事の中にはそれはもう当事者ひとりひとりの切実が入り乱れているに違いない、と不真面目な想像をしながら私はテレビを眺めていました。そこに、政治部記者が東京地検をバックに登場。あまりにも噛みすぎでしょうとツッコミを入れたくなるほど落ち着き無く、何かに急かされているような仕草と口調で彼が速報を読み上げる読み上げる読み上げる!その右下に東京地検の表札。「 検 察 庁 」。…検察の察の中に、祭。まつり。………、祭!!!



祭が私の眼に飛び込んで来た瞬間、この気持ちはなんだろう、私の胸部はにゅっと鷲掴まれ、心臓がどきどきどき。「察」の中に祭が居たなんて!



金八先生の、人という字は〜うんぬん、とかそんなじっくりな文字の考察、真理めいたものの発見、などの類いではなくて、何と言うか大袈裟に言って恋のようなときめき、ビビビを感じてしまったのでした。祭に。


あんまり祭に内蔵がうよめくのでパソコンで「検察」と打込んでみるけれど、どうもしっくり来ない。ときめかない。ので、検察庁のホームページにて改めて表札の写真と対面。すると、やはり祭がじいっと私を見つめているではないか…。何なの、祭。東京地検表札の、祭。あなたは誰。






…と、客観性を欠いた個人的つぶやき(と言いながらも、誰かに話したい衝動)をひとり興奮気味に書き連ねてしまったのは、あまりにも落ち着き無く 〆切に急かされてあちらとこちらを行ったり来たりしている合間。
 
 
 

うたをうたおう

氷川きよしの「ときめきのルンバ」をテレビで見る度に、
あのやりきり感に感心。
そりゃ「き・よ・し♪」とでも間の手を入れたくもなる。
私にはこういう逞しさは欠けているのね、とつくづく。








歌をつくりたいと思い続けておりまして、
でもすべて未完の体たらくでありました。


つい数日前。
迫り来る課題提出〆切に悲鳴をあげているという真っ最中に…(泣)

ひとつ、ひとまずの完成をみました。



こちらはOTOではなくogatama∴としての楽曲なので、
ogatama∴webにて公開しております。





「うまれるために」
http://www.ogatama.tv/ogatama/music.html

※オガタマのHP内に飛びます




お聴きいただけたら嬉しいです。



(ちなみにもう一つ、 インストの曲「REFRUSTRATIONS±」もUPしました。こちらは私はアレンジとして関わったのですが、最終的な構成・打込みなどは他のメンバーが担当したものです。)

みかん、をみつめる、みかん。


未完の美しさ。
煌めき。
が、どうでもいい。


正直に言えば、未完をいま本当に美しいとは思えないけれど、それは美しいんだろうという気はする。けれども、今時点の距離が。何とも。


未完に奮い立って入学して来る大学1年生の眼はわりかしキラキラしていて、対して4年生の眼にはわりかし未完の不安と決意の切実。そんなのはいいね。大学に行くのが、ちょっと楽しく思えます。私の眼にもそんな人並みの変化が観察できるはずで、そう、この決意の大袈裟と正しさをパソコンの画面上に移動させて鑑賞してみたら、その平凡に思わず笑み。次いでなお私の夥しい未完が訴えかけるのだから、ああやっぱりこれは切実。


もう未完の優位でものを言えない、言いたくない、と本当に今頃。発達の遅い私は蜜柑を食べたくなくて家族の勧めをいっつも拒否、それは最近の私の胃の容量に対して熊本産蜜柑の質量が大き過ぎるので。


高校生の頃、カラオケで友達が「蜜柑蜜柑蜜柑蜜柑蜜柑蜜柑蜜柑、みっっっかあああああん!!!」ってあれ何回言ってたんだろう、絶叫するセックスマシンガンズの歌をよく熱唱しておりましたが、あの叫びは何故だか時たま思い出される。みかん、ミカン、mikan、もはや擬音語みたいに響いて来るから?



とにかく



みかん



が、いま私の頭の中で鳴り続けているので、それは未完だろうと蜜柑だろうともうあんまりに切実なみかん。私だけのみかん。オケがみかん。文字を見つめているとゲシュタルト崩壊を起こして外国語みたいに見えてきた、みかん。み、って変な字ですね。






みかんみかんみかんみかんみかんみかんみかんみかんみかんみかん





さて何回言ったでしょう。



何だかリボン状の装飾というか模様のようで、美しいような気すらしてきました。やっぱりみかんは美しいのか。
 
 
 

生きる


選ぶこと。

(そのためにこそ、ものを視よ。啓け。苦しめ。)




祈ること。

(明日も生きておられますよう。いつかあなたに会えますよう。)




死者を思うこと。

(その眼は、いつだって私たちを見つめている。)




あなたの愛を全身に満たし、

細胞のすべてをもって抱きしめ続けること。

(分からないのならば、ただ感じることだ。)







それは私の切実。



あまりに貧しい切実。